峰守備忘目録《ミネモリビボウモクロク》

小説家・峰守ひろかずが、自著リストや短編小説を公開しているブログです。

雑記:水木しげる先生について

 

 

 水木しげる先生が亡くなられました。

 先生の業績や人柄についてはもう方々で語られていますから、一ファンに過ぎない僕が付け足せることは何もありません。ですが一介の妖怪好きとして、そして妖怪を扱わせてもらっている作家の一人として、文章にしておきたい思いがあり、これを書きました。と言うか今書いています。

 ご存じの方はご存じでしょうが(そりゃそうですよね)、峰守はデビュー以来妖怪のお世話になり続けている作家です。現在刊行中の「絶対城先輩の妖怪学講座」「お世話になっております。陰陽課です」はジャンルこそ違えど妖怪を扱っていますし、デビュー作である「ほうかご百物語」も妖怪ものでした。

 新人賞受賞時の選評で妖怪の知識が豊富だと評してもらいまして(これ、自分ではあまり実感はないのですが)、そのきっかけはご多分に漏れず水木先生の妖怪図鑑であり、妖怪漫画でした。僕はずっと妖怪好きをやっていたわけではなく、何度か離れて戻ってを繰り返したのですが、ジャンルに戻ってくる度に水木先生の描く(書く)妖怪に迎えられたような気がします。

 先日、「ダ・ヴィンチ」という雑誌で、新作「陰陽課」についてのインタビューをお受けしました。記事は2016年1月号に載るのですが、そこで「峰守はよく妖怪を使っているが、お前にとって妖怪とは何だ」ということを聞かれ(実際はもっと丁寧な問い方でしたが)、妖怪は物語を書く上で最高に使い勝手の良い素材であり概念であり、だから使う時は最低限の敬意は欠かさないようにしています、というようなことを答えました。

 これが例えば自分で考えたモンスターなり怪物だったらゼロから説明しなくちゃいけないけど、妖怪だったら「皆さんご存知のアレです」で通じます。天狗です、河童です、塗り壁ですとさえ言えば(書けば)、読み手の方はだいたいのイメージを思い浮かべることができます。そのイメージ(共通認識)をそのまま使ってもいいし、そこを逆手に取ってギャップの面白さを狙っても良い。物語を転がす上でこんな使い勝手の良い概念というものは自分にとっては他になく、それは水木しげる先生が作って根付かせたものだと思います──とかなんとか、そんなようなことを話してきたわけです。

 この時は深く考えずに受け答えをしていたわけですが、改めて思うとこれは凄いことです。
 無論、水木先生お一人だけが凄いわけではなく、妖怪を語り継いだ方や調べた方や集めた方あってこそなのは言うまでもありません。
 ですが、膨大な資料を集積しカテゴライズし、物語性の薄いモノには物語を与え、姿のなかったモノには姿を与え(また、いかにも昔からいたかのようなデザインがめちゃくちゃ上手いのです)、これは全部昔から語り継がれてきた妖怪というものなんだよ、と提示して根付かせてしまったのは、やはり凄まじいことです。僕は(と言うか、おそらくは僕らは)ヤマタノオロチも板鬼も泥田坊も塗り壁も全部妖怪と認識できるわけですが、それは誰の業績だと言えば水木先生なわけですから。少なくとも僕はそう思ってます。

 これは妖怪の語られ方について話す時によく言うエピソードなんですが、十年以上前のNHKのお笑い番組(たしか「爆笑オンエアバトル」の夏のスペシャルだったと思います)で、お笑い芸人達がそれぞれ妖怪に扮したコントがありました。ここで塗り壁や座敷わらしに混じって、ねずみ男が出てたんですね。演じてたのは確か「飛石連休」の背の高い方の方だったと記憶しています。言うまでもなく、ねずみ男は妖怪ではなく、水木先生の創作したキャラクターです。ですがそれがNHKのステージで妖怪として出てしまう。是非はともかく、水木キャラと妖怪の浸透度を示す一例だなあと思ったものです。

 水木先生が亡くなられた直後、ネットを見るのが辛かったです。「妖怪みたいな人だから悲しくない」という声に「こっちは悲しいぞ」と憤り、フリー素材のように貼られる漫画のコマにモヤモヤした思いを抱え、恣意的な「~といわれがちだけど~だよね」というコメントに「引用次第でどうとでも言えるじゃないか」と腹立たしくなる。個人的には水木先生は優れたペーソスの人でありユーモアの人でありエンタメの人であり、また厭戦の人であり革命気質の人であり卓越した画力の画家であり妖怪紹介師であり(以下略)と思ってます。

 今は少し落ち着きましたが、喪失感のせいもあってかなり感情的になった自分に驚き、改めて水木先生とその作品が好きだったことを強く思った次第です。

 話は全然まとまりませんが、水木先生が残されたものをありがたく使っていこうと思います。そして──ここから先は大変おこがましい発言になるのですが──先生の教えてくれたあれこれに何かしらを少しでも足して残すことができるなら、水木チルドレンのチルドレンのチルドレンくらいの作家として、この上ない喜びだなあと思うところです。