峰守備忘目録《ミネモリビボウモクロク》

小説家・峰守ひろかずが、自著リストや短編小説を公開しているブログです。

◆短編小説◆絶対城先輩の妖怪学講座(補講) 青鷺火(あおさぎのひ)

※以下は、メディアワークス文庫WEBサイトでの公開用に書き下ろし、サイトでの公開が終了した短編です。メディアワークス文庫編集部の許可を得て掲載しています。「絶対城先輩の妖怪学講座」二巻~三巻ごろの物語となります。

 

青鷺火……年を経たアオサギコウノトリ目サギ科に属する水鳥。日本に生息するサギ類の中では最大の種)が、夜間に飛行する際に青白く光るという怪異現象、またはその光のこと。アオサギの他、ゴイサギも夜に発光するとされ、各地に多くの目撃例が残る。ただ「光る」だけの怪異であり、見たからと言って害を被ったりすることはない。

 

「は? そこでデートした者は必ず結ばれる最新で伝説のデートスポット?」

 ある水曜日の一コマ目、経済概論の終了後のことである。

隣の席の友香(ゆか)に、講義の最中に熱心にスマホを見てた理由を尋ねてみれば、帰ってきた答がそれだった。知人から回ってきた情報らしいが、最新かつ伝説って、何その胡散臭い設定。テキストやノートを片付ける手を止めて眉をひそめれば、あたしのリアクションが期待外れだったのか、友香は露骨に呆れてみせた。

「ちょっと、食い付き悪すぎない? 礼音(あやね)、それでも年頃の女子?」

「年頃の女子にもいろいろいるのよ」

 憮然とした声で切り返し、ついでに友香をじろりと見据える。大学入学以来の小柄な友人のまつげはいつも通りに長く、メイクは若干濃すぎるほどに丁寧だ。ちんまりとした背丈や、流行に乗っかっているのであろう着こなしも含め、今日の友香もまた、あたし、湯ノ山礼音(ゆのやまあやね)と対照的な姿だった。

何しろこっちは、今日も今日とて無地のタンクトップでホットパンツという取り合わせである。ついでに言えば、今日も今日とて背は高く、髪は短く、スタイルは貧相で、手足は固く締まっている。相変わらず女子力に欠ける我が身であることよ。心の中でつぶやいていると、友香は「そのデートスポットが」と口を開いた。あたしが食い付かないものだから、自発的に説明するつもりのようだ。聞かなきゃいけませんか、その話。

「あのさ、友香? あたし、あんまり興味ないんだけど」

「いいから聞いておきなさい。礼音だって彼氏欲しいでしょ? あ、それとも、あの黒服の妖怪博士がいるからもういいの? ほら、あのオカルト相談所の」

「絶対城先輩のこと? とんでもないこと言わないでよ」

「嫌いなの? その割にはやたら入り浸ってるじゃない」

「前にも言ったけど、好きで入り浸ってるわけじゃないからね」

 訝る友香を前に、あたしはきっぱり言い切った。確かにあたしは、オカルト相談所の黒服の妖怪博士こと、絶対城阿頼耶(あらや)先輩のところによく顔を出している。というか、体の良い雑用係として日々こき使われているのであるが、それは人には言えない理由があってのこと。決して好きで通ってるわけではないのです。そう繰り返せば、友香は「ふーん」と首を傾げたが、すぐに話を元に戻した。

「そんなことより噂のデートスポットよ。あのね、その場所、ただ行くだけじゃ駄目なのよ。二人揃って、ある物を見なくちゃいけないわけ。何だと思う?」

「さあ。それより、そろそろ行っていい? あたし次のコマも講義取ってるし」

「ノリが悪い! 何とね、光り輝く鳥なんだって! そこには青白く光る不思議な鳥がいて、それを見たカップルは、必ず幸せに──」

「……あー。それなら知ってる」

 興奮気味の友香の口調を、あたしのげんなりした声が遮った。何の話かと思ったら、あれのことだったか。きょとんと目を丸くする友香に向かって、あたしは苦笑しながら続ける。

「場所は羽根川(はねがわ)の河川敷でしょ。大学から十五分くらいの距離で、夏場にはバーベキュー会場として大人気。噂が広まったのは先週からじゃないかな」

「え。そ、そこまで詳しくは書いてなかったけど……そうなの?」

「うん。たぶんね」

 長いまつげの下の目を丸くして驚く友香に、けろりとした顔でうなずき返す。興味ないとか言ってたくせに、何でそこまで詳しいのよ。そう言いたげな友香の視線を受けながら、あたしは、先日のあれこれを思い出していた。

そう。きっかけは確か、先々週の木曜日のことだっけ。

 

          ***

 

「彼と、もう一度やり直したいんです」

 キャンパスの外れに位置する文学部四号館の四階、四十四番資料室。怪奇現象絡みの相談所として有名なその一室を訪れた二人組の依頼人の片方は──つまり、ベストとジーンズ姿の気の良さそうな男子学生ではなく、白のブラウスも鮮やかな、キリッとした女子学生は、開口一番、そう告げた。

……ほう。これはまた、なかなか斬新な依頼ですこと。

依頼人にコーヒーを出しつつ話を聞いていたあたしが、心の中でそうつぶやいたのは言うまでもない。この部屋の主もどうやら同じ感想を持ったようで、ややあって、バリトンの効いた声を響かせた。

「……何か、誤解があるようだな」

 低いがよく通る声とともに、長い前髪に隠れた双眸が、応接セットの向かい側に座った男女の二人組をじろりと見据える。白のワイシャツに黒のネクタイ、肩に羽織った黒の羽織。いつものように奇妙な服装の四十四番資料室の主は、やれやれと言いたげに首を左右に振った。

「勘違いしているようだが、ここは恋愛相談所でもカウンセリングルームでもない。俺は──絶対城阿頼耶は、妖怪学を修める者として、実際に生じた怪異の事例を蒐集しているだけの、一介の学生だ。事例蒐集の過程で、報告者の抱えた問題を解決したことも幾度かあるが、それはあくまで副次的な結果。怪異の関わらない相談に応じるつもりは、毛頭ない」

 絶対城先輩の淡々とした語り口調が、資料室に林立する本棚の間へ染み入っていく。こんな場所で寝泊まりし、講義にも出ずにひたすら妖怪学関連の資料や文献を読み漁っている人間は決して「一介の学生」ではなかろうが、今は口を挟むべきではないだろう。そんなことを思いながら見つめる先で、先輩はこれ見よがしに肩をすくめ、そして傍らに立つあたしに声を掛けた。

「全く、時間の無駄だったな。ユーレイ、こいつらが帰ったら塩を撒いておけ」

「そ、それはひどくないですか? 確かにあたしも困惑しましたが、せめてもうちょっと話を聞いてあげません? まだ何も話してないじゃないですか、この人たち。……それとですね、あたしはユーレイじゃなくて湯ノ山礼音ですし、そのニックネームには納得が言ってないと何度も何度も」

「うるさい。サンプル風情が口を挟むな」

 お盆を持ったまま反論するあたしを、ドライな声が黙らせる。だからその「サンプル」って呼び方もやめてほしいんですけども。そう視線で伝えてみれば、絶対城先輩は心持ちゆっくりとした口調でこう言い足した。

「忘れたのか? お前の胸にぶら下がっているそのペンダントを──お前の平穏な日々のためには欠かせないその呪具を無償で提供し、あまつさえ、壊れる度に作り直してやっているのはどこの奇特な妖怪学徒だ?」

「ま、またそれを言う……! そりゃまあ……絶対城先輩、ですけれど……」

 ぎりっと噛み締めた歯の隙間から、憎しみと不満の籠もった小声が漏れる。と、その反応が期待通りだったのだろう、黒い羽織のサディストは満足そうに小さくうなずき、座ったままの依頼人達へと向き直った。

「おい、いつまでそこに陣取っている? 言ったろう、怪異絡みの事件でない以上、俺は相談に応じるつもりは──」

「見たんです!」

 絶対城先輩の冷たい声を断ち切るように、ふいにブラウスの少女が叫んだ。

いきなりの大きな声に、あたしは思わずびくんと震えた。何だ何だ、急にどうした。思わず先輩と顔を見合わせれば、依頼人の少女は震える声で先を続けた。

「ほんとにあれを──『光る鳥』を見たんです、私! なのに、翔(しょう)君はそんなことありえないって」

「ちょ、ちょっと待ってよ? 見たって何を? てか、ちょっと落ち着いて」

「この人の言う通りだよ。とりあえず落ち着こう、沙弥(さや)」

 あたしの言葉を受けるように、依頼人の男子が初めて口を開いた。どうどう、となだめるような仕草をしながら、「翔君」と呼ばれた男子はあたしたちへと向き直り、申し訳なさそうに頭を下げた。

「お騒がせしてすみません。沙弥、ちょっと思い詰めると、こう、わーってなっちゃうところがあって……。彼女が落ち着いたら、すぐに帰りますから」

「いや。その必要はない」

「もともと僕は乗り気じゃなかった──って。え?」

 絶対城先輩が言い放った言葉に、「翔君」がきょとんと目を丸くした。だってあんた、帰れって言ってたじゃないですか。そう言いたげな視線を向けられ、黒の羽織の妖怪学の専門家は「気が変わった」と声を発した。

「察するに、そちらの彼女が、存在しないはずのモノを……恐らくは、発光する鳥を見てしまったのだろう? そういうことなら、正しく妖怪学の範疇だ。先ほどまでの非礼は詫びる」

「え。それじゃあ──沙弥の」

「私の話、信じてくれるんですか……?」

「信じる信じないは聞いてからの判断だ」

 不安そうな依頼人カップルの問いかけに、よく通る声が即答する。さっきまでとは打って変わった真面目な視線で向かいの二人を見据えながら、絶対城先輩は「だが」と続けた。

「無碍に否定することだけはしないと確約しよう。人知を超えた不可思議なモノゴトは──妖怪は、確かに存在するのだからな。発光する鳥類は古今東西に伝わる高名な怪異だが、実際の目撃例が貴重なことには変わりない。是非、詳しい話を聞かせてほしい。さしあたって、君たちの素性を教えてもらおうか」

「え? ええと──私は白木(しろき)沙弥。文学部の一年生です。ほら、翔君も」

「わ、分かってるって。沢島(さわじま)翔一、沙弥と同じ文学部の一年です」

「絶対城阿頼耶だ。妖怪学をやっている。……おいユーレイ、何をぼさっと突っ立っている? 菓子でも出せ」

「はいはい」

 気のない声で応じつつ、あたしは資料室の奥の台所コーナーへと向かう。まったく、相変わらずサンプル遣いの荒いことで。

「まあ、この扱いにも慣れましたし、あたしも紹介しろとも言いませんけどね。妖怪に向ける愛情の一割くらい後輩に向けても別に罰は当たらないと思ったり」

「聞こえているぞ。つべこべ言うならそのペンダントを即刻返納──」

「ただちにお菓子をお持ちしますのでお待ちください!」

 

「……ほう。つまり、デートの待ち合わせ場所の橋で待ってた沙弥さんが、何気なく河川敷を見下ろしてたら、藪の陰から、そいつが飛び出したと」

「代名詞を使う必要はないだろう。『青白く光る大きな鳥』と言えばいい」

 そして約十分後。応接セットの傍らに立ったあたしが、聞いたばかりの内容をまとめていると、絶対城先輩が横から口を挟んできた。いやしかし、目撃者の前で言うのも何ですが、現実味が無さすぎて口にしづらいんですよね。思わず小声を漏らせば、それを聞きつけた沙弥さんがキッとあたしを睨みつけた。キリッとした印象通り、結構気の強い女の子のようだ。

「ほんとに見たんだから! 青い光に包まれて、優雅で、携帯で写真撮るのも忘れるくらい幻想的に、大きく羽ばたきながら」

「し、信じないわけじゃないってば! で、思わず見入っている間に、そいつは──青白く光る鳥はどこかへ飛んで行ってしまい、それからしばらくして翔一くんがやってきた、と。沙弥さんはもちろん鳥のことを話したけど」

「……ええ。僕は信じませんでした。ああ、過去形じゃないですね。正直なところ、僕は今でも信じられないんです」

 あたしの言葉を受け、翔一君が苦笑する。いかにもお人好しそうな青年は──いや、この感じは「少年」かな? ──少年は、隣の恋人をちらりと見やり、そして大きな溜息を落とした。

「僕、学部は文学部ですが、これでも野生動物には詳しいつもりなんです。山にも海にもよく行きますし。沙弥を羽根川に誘ったのも、アウトドアサークルでバーベキューした時に、いい雰囲気の場所だなって思ったからで」

「へえ。アウトドアサークル入ってるんだ」

「釣りしたりバードウォッチングしたりする、温いサークルですけどね。バーベキューでは、ちょうど前の日にイカ釣りに行ったから、釣ったイカを焼いたりして」

 あたしのこぼした質問に、そつなく答える翔一君である。同学年だから敬語使わなくてもいいのに、とは思うのだが、さっきそう言ったら「こっちの方が楽ですから」と言われてしまったのであった。

「まあ、僕のことはさておき──僕の知ってる限り、発光する鳥なんて存在しないんですよ。少なくとも、日本の、この大学の近くには。だから僕は、沙弥の話を聞いた時、そう言ったんです。でも沙弥は」

「ほんとに見たんだからね!」

 おとなしい彼氏の声に被せるように、沙弥さんがきっぱり言い放つ。じろりと翔一君を一瞥すると、沙弥さんは少し悲しげに肩をすくめた。

「……私、翔君がそんな人とは思わなかった。同じ大学に入れたら付き合おうって言ってくれたこと、忘れたの?」

「わ、忘れるわけないだろ! そりゃ僕だって沙弥のことは好きだし、信じたいとも思ってるよ。でも……それとこれとは話が別だ。ありえないものはありえない」

「じゃあ何? 私がおかしくなったって言いたいの?」

「そんなことは言ってないだろ!」

 翔一君の言葉に沙弥さんがカッと食い付き、翔一君が熱く切り返す。この二人、どっちも意地を張るタイプらしく、徐々に口調が熱くなっていく。口を挟んでいいものかと困惑しつつ、あたしは絶対城先輩と顔を見合わせた。

翔一君の言うように、鳥が光るなんてありえない。となるとこれは沙弥さんの見間違いか思い込みと考えるのが妥当なところだろうけど、そう言って納得するようには見えないし。さあどうしたもんですかね、と視線で問いかけてみれば、ややあって、先輩が静かに声を発した。

「状況は理解した。要するに、光る鳥が実際に存在するのかどうか、白黒付けてはっきりさせたいわけだな。ここを紹介したのはサークルの上級生あたりか? 納得できない不可思議な出来事なら、あそこに相談してみろ、とでも言われたのだろう」

「……正解です。まあ、俺はあんまり乗り気じゃなかったんですが、沙弥が行ってみようって言うもんだから……」

 翔一君がしょんぼりうなずく。なるほど。沙弥さんが最初に言っていた「もう一度やり直したいんです」ってのは、こじれた仲を修復したいってことでしたか。ようやく事情を理解すると、あたしは先輩へと話しかけた。

「ちなみに、妖怪学の専門家的に、光る鳥ってのは」

「多いな」

 あたしの問いかけを遮るように、バリトンの効いた声が即答する。

「妖怪というのは、詰まるところ『我々とは違う何か』だからな。重力で地面に貼り付けられ、闇夜を恐れる人間にとって、飛行能力と発光は普遍的な異質性であり、この二つの属性を兼ね備えた怪異は世界中に伝わっている。フェニックスやサンダーバードのようにな」

「なるほど──って、先輩? 沙弥さんはフェニックス見たって言ってるわけじゃないと思うんですが……。だよね? そんな大物が出たわけじゃないよね?」

そう問いかけてみれば、沙弥さんはこくりと首を縦に振った。と、先輩は、小さく肩をすくめ、立ち上がって資料室の本棚へと向かった。今のは一例として名前を出しただけだろうが。そう呆れた声で言い足すと、黒の羽織の妖怪学の徒は、古びた和綴じの本を三冊、棚から取り、あたしたちの前に戻ってきた。

「日本でこの種の怪異と言えば、代表的なのはこいつ、『ふらり火(び)』だな。空中を彷徨う炎の中に鳥のような姿が見える、という妖怪だ。この『画図百鬼夜行』を始め、数多くの絵画資料に記録されている」

 手にした本のうちの一冊を開きつつ、先輩が流暢な解説を付け足す。沙弥さんたちの邪魔にならないように覗いてみると、確かに炎の中に浮かぶ鳥が描かれている。顔は扁平であまり鳥っぽくないが、そこを除けばこいつは誰が見たって鳥だ。いろんな妖怪がいるんですねと感心していると、翔一君が訝しげに声を漏らした。

「こんなのが夜中にフワフワ飛んでたら、みんな気付くと思うんですが……。沙弥が見たのも──見たって言ってるのも、こういう……?」

「ちょっと違う。燃えてたわけじゃなくて、光ってたのよ。青白くほんのり」

「なるほど。時に、君が見たのはどんな鳥だった?」

 沙弥さんの言葉に、絶対城先輩の詰問がすかさず割り込む。沙弥さんは一瞬きょとんと目を瞬いたが、すぐに我にかえって口を開いた。

「私、翔君ほど鳥には詳しくないので、名前は分かりませんが……。川によくいる、大きくて、脚の長い鳥だったと思います。コウノトリみたいな」

「あんな川にコウノトリはいないよ、沙弥。それ、たぶんアオサギゴイサギだ。どっちも、日本中の川や海岸で見られる大型の水鳥で──」

「──アオサギは体長一メートルほどで昼行性。名前の割には青くなく、体色はむしろ白に近い。飛び立つ前に一声鳴く習性を持つ。一方のゴイサギは、体長は六十センチほどで夜行性の鳥だ。濁った鳴き声がカラスに似ているため、『ヨガラス』と呼ばれることもあるな。特徴は他にもいろいろあるが、この際、そこまで詳しい情報は不要だろう。そして、君が見たのが鷺だとしたら、話は早い」

 翔一君の説明を勝手に補足しつつ、絶対城先輩がうなずく。しかし、話が早いって何がです? そう尋ねる間もなく、先輩は手にしていた本の二冊目を開いていた。そして示された絵を見たとたん、沙弥さんがハッと息を呑んだ。

「あ……!」

「そう。君が見たのは、十中八九、これだ」

 絶対城先輩がどこか満足げに静かに告げる。その手元のページに描かれていたのは、ずんぐりした体に首をうずめるようにして立つ、脚の長い鳥だった。光の表現なのだろう、その全身からはめらめらとオーラのようなものが立ち上っており、付けられた題は「青鷺火(あおさぎのひ)」。絵に見入るあたしたちを前に、先輩が静かに説明文を読み上げる。

「──『青鷺の年を経しは、夜飛(よるとぶ)ときはかならず其羽ひかるもの也。目の光に映じ、嘴とがりてすさまじきと也』。平易な文だから、現代誤訳するまでもないだろう。ちなみにこれは、今見せた『画図百鬼夜行』の続編だ。発光する鷺の記録はこうして確かに残っている」

「そ、そうなんですね! ほら、聞いた、翔君? 鷺が飛ぶ時は光るんだって! やっぱり私は嘘なんか」

「え? でもこれだけじゃ証拠には弱いって言うか、一冊だけ出されても」

「一冊だけと誰が言った?」

 翔一君の言葉を待っていたかのように、先輩は三冊目の本を取り出した。内容を全て暗記しているのか、迷いなく開かれたページには、これまた鷺らしき鳥が光を放つ様子が描かれている。「五位の光」と題されたその絵を示しながら、先輩は淡々と言葉を重ねていく。

「五位、即ちゴイサギの発光現象についての記録だ。この本は『桃山人夜話』。別名を『絵本百物語』と言い、『画図百鬼夜行』シリーズと並ぶ、江戸期の傑作妖怪本だな。どちらも当時の有名な怪異を記録した本だが、その両方に登場している妖怪は、この鷺くらいのものだ。無論、記録イコール実在とは言いきれないが、記録の多さは関心の高さと知名度に比例するのもまた事実」

「で……ですけど、それはただ、誰かの作り話が広まっただけかもしれませんよね? 絶対城さんが今、自分で言われたように、記録があるからって実在したとは限らないですし」

 畳み掛ける絶対城先輩に対し、翔一君が食い下がる。現実的と言うか頑固と言うか、なかなかしぶとい性格だ。思わず声を漏らしたら、それを聞きつけた沙弥さんはゆっくり首を縦に振り、誇らしげにこう言った。

「翔君、優しいんだけど、頑固なの。そこが好きなんだけどね」

「……へえ、そうなんだ」

 きっぱりとした断言に、なぜかあたしが照れてしまう。まあ、彼氏を自慢できるのはいいことだと思うけど、だったらそもそもケンカしないでよ。口には出さずに呆れている間にも、絶対城先輩と翔一君の論戦は着々と進行していたわけで。

「……なるほど。絵画資料だけでは実証にはなりえない、証拠を見せろ、と言いたいわけか。もっともな言い分だ」

「わかってもらえましたか」

「ああ。だが俺も、元より、資料を見せるだけで納得してもらうつもりはない。俺はただ、鷺の発光は古来より記録されていたことを示しただけ。本題はこれからだ」

 広げた本を閉じながら、絶対城先輩が抑えた声を発する。それはどういう意味です、と翔一君に口を挟む間を与えることなく、先輩は先を続けた。

「物理法則で説明の付かない現象であれ、昔起きたことならば、今起きても不思議ではない、ということだ。起こり得る怪異なら確認もできるし、場合によっては再現も可能だ。少しの時間と、相応の手数料をもらえれば、妖怪学の名にかけて、君の彼女は嘘吐きではないと証明しよう。どうかな?」

「え? そ、そりゃ、少しくらいなら待ちますし、お金のことも先輩に聞いてますから、払うつもりはありますけど……。でも、証明って? 光る鳥を捕まえるとでも言うんですか?」

 疑う気持ちを隠そうともせず、翔一君が不審な声を漏らし、その隣では沙弥さんが不安そうに息を呑む。その二組の視線をまっすぐ受けとめた先輩は、翔一君の質問に答える代わりに、「追って連絡する」と言い足したのだった。

 

 で、依頼人カップルが微妙な距離感のまま立ち去った後の資料室。部屋の奥の流し台でコーヒーカップを洗いつつ、あたしは先輩へと話しかけていた。

「あの二人、何て言うか、可哀想でしたね。お互い、相手のことは全然嫌いじゃないし信じたいんだけど、それができないからこじれてる……みたいな。上手く仲直りできるといいんですが」

「知るか。俺の関心は青鷺火の実在とその再現性についてだけだ」

 ドライ極まる声で即答された。鬼か。まあ、妖怪にしか興味がない変人であることは、重々承知しておりますけどね。溜息とともに手を拭くと、あたしは振り返って問いかける。

「で、証拠見せるって言ってましたけど、どうするつもりなんです? 光る鳥なんているわけないのに……。いつもみたいに悪どいインチキで再現するんですか?」

「人聞きの悪いことを言うな。妖怪学はそもそも、怪異の真相を──どうしてそういう妖怪が生じたのかを分析する学問だ。それを修めている俺が、先人の研究成果を活用して何が悪い。妖怪のせいにして物事が丸く収まるならば、それでいいだろう」

「そりゃそうなんですが」

 悪びれる気配のない先輩の言葉に、苦笑を返す。先輩の言い分は分からなくもないいが、善良な一市民としては、仕掛けで人を騙すのはあんまり気分のいいものではないわけでして。ぼそりと反論してみれば、それを聞いた先輩は「小市民め」と肩をすくめ、抑えた声でこう言い足した。

「安心しろ。おそらく、今回は仕掛けを用意する必要はないから、楽なものだ」

 

          ***

 

「おはようございまーふ……」

 そして一夜が明けた次の朝。上ったばかりの朝日が照らす河川敷で、あたしは眠たい声を漏らしていた。ふわあ、と大きなあくびを落とせば、既に現場入りしていた絶対城先輩は、あたしに冷たい目を向けた。

「しゃきっとしろ。お前それでも合気道の使い手か」

「眠気には合気道も効きませんからね……。課題のレポートが予想外に時間食いまして、あんまり寝てないんですよ。てか先輩、朝の六時半集合って、いくらなんでも早すぎません? ラジオ体操じゃあるまいし」

「現場の確認に行けと言われても、講義があるから日中は動けない。そう主張したのはお前だろうが。違うのか?」

「……違いません」

「だったら文句を言われる筋合いはなかろう。むしろ感謝しろ」

 理不尽極まる言葉を口にしながら、先輩はぐるりとあたりを見回した。それに釣られるように、あたしも河川敷を見渡してみる。

全面、短い草で覆われており、こんもりと茂った藪も何箇所か。なだらかなスロープで川に降りられるようになっていたり、よく見れば空き缶やゴミがあちこちに落ちていたり、どこを見たって何の変哲もない河川敷である。川に視線を向ければ、脚の長い鳥が何羽かのんびり突っ立っていたが、当然のことながら発光してはいなかった。ゴミを漁っているカラスもいたが、こっちも光る気配はゼロ。そりゃそうだ。

「沙弥さんが光る鳥を見たのって、ほんとにこのへんなんですよね?」

「そこの橋から見たという証言を信じるならば、この一角で間違いはない」

「ですよね……。ふわ」

 相槌を打ちつつ、再び漏れたあくびを噛み殺す。と、いつまでも眠たげなあたしに呆れたのか、先輩は露骨に肩をすくめ、そして溜息を落としてみせた。

「いい加減に目を覚ませ。明人(あきと)はこの時間でもきびきび動いているぞ」

「え。杵松(きねまつ)さん来てるんですか?」

 先輩の口にした言葉に、きょとんと目が丸くなる。理工学部三年の杵松明人さんは、絶対城先輩の数少ない──というか、あたしの知る限り唯一の──友人であり、その手先の器用さを生かして、インチキなお祓いに用いる仕掛けの作成も担当している人物だ。万年仏頂面の先輩とは正反対の、優しくて穏やかな青年である。眼鏡の似合う柔和な笑みを思い起こしつつ、あたしは河川敷をぐるりと眺めた。先輩と同じくらい背が高い人なのに、どこにも姿が見えない。藪の蔭にでもいるのだろうか。

「しかし杵松さんも可哀想に。研究室の実験で忙しいのに、インチキだけじゃなくてこんなとこまで駆り出されるなんて、ひどいですよ」

「勘違いするな。話を持ちかけてみたら、あいつが自発的に来ると言ったんだ。俺は明人に何も命令したつもりはないし、するつもりもない」

「へえ。……ちなみに、あたしは問答無用で命令されたんですよね」

「それがどうした?」

 ぼそりと皮肉を口にすれば、ドライな声で即答された。お前の胸にぶらさがっているペンダントを作っているのは誰だか忘れたのか、おい。そう言いたげな視線であたしを黙らせると、先輩は仕切り直すように小さくうなずいた。

「さて。いつまでも明人だけに任せてはいられない。俺たちも捜索に掛かるか」

「捜索って何をです? 光る鳥なら多分いくら探してもいませんよ」

「当り前だ。いいか、俺が探しているのは──」

「それならもう見つけたよ」

 絶対城先輩の説明に、ふいに穏やかな声が被さる。それに釣られて振り返れば、長身で眼鏡の青年が、火箸とビニール袋を手にしながら微笑んでいた。研究室に行く前なのか、それとも実験を終えての帰りなのか、今日も白衣の杵松さんは、あたしたちへと歩み寄り、小さく会釈した。

「おはよう、湯ノ山さん。朝早くから御苦労さま」

「あ、おはようございます。杵松さんこそ早くからお疲れ様ですね……」

「僕はほら、ちょうど時間が空いてたからさ。湯ノ山さんだけに仕事させるのも、何だか申し訳ないしね」

 朝の六時前から妖怪探しに引っ張り出されておきながら、優しく苦笑する杵松さんである。絶対城先輩とは好対照なその気配りに、じんわり胸が熱くなった。いい人だ。

「……ほんと、先輩とは大違いですね」

「別人だから当然だ。それより明人、もう見つけたのか?」

「うん。阿頼耶から話を聞いた時は、もっと時間が掛かるか、最悪見つからないと思ったけどね。運が良かったのか、意外とあっさり発見できたよ」

 気さくな声で応じつつ、杵松さんが手にした透明のビニール袋を差し出す。その中に入っているのは、一、二センチほどの長さの、紫がかった茶色の塊だった。表面がどろどろしているところを見ると、どうやら腐った何からしいが……。

「絶対城先輩が探してたのって、これですか? 何なんです?」

「イカの足の切れ端だよ。かなり腐敗してるけど、吸盤がかろうじて確認できる」

 あたしの質問に応じてくれたのは杵松さんだった。袋を先輩に手渡しながら、杵松さんは「バーベキューの時に余ったのか、落としたものだろうね」と言い足す。なるほど。言われてみればこれはイカの足に見えなくもなかった。それに、依頼人カップルの一人である翔一君は釣ったイカをここで焼いたって言ってたから、足の先が落ちてても不思議ではない。でも、だがしかし。

「先輩、どうして腐ったイカなんか探してたんです? ここには光る鳥の証拠を見つけに来たんじゃないんですか?」

「その通りだ」

 首を捻るあたしを見下ろし、先輩はきっぱりうなずいた。いや、その通りって言われても、意味が分からないのですが。そう続けようとすれば、先輩は手にした袋をあたしに突きつけ、そして無言で手招きをした。近づけ、と言いたいらしい。仕方ないので顔を近づけると、先輩はふいに黒の羽織をマントのように広げ、あたしの頭と、イカの入った袋をまとめて覆った。視界が急に暗くなる。

「せ、先輩? いきなり何を……?」

 級に距離を詰められ、思わず裏返った声が出た。先輩とは入学以来の付き合いではあるが、体温さえ感じられそうなほどに接近された経験は、さすがに数えるほどしかない。色恋沙汰には縁がなく、異性の知人が少なかった──というか、今でも少ない身としては、困惑してしまうのは無理もない。だが先輩は、狼狽する後輩を気に掛けることなく、いつも通りのドライな口調で言い放った。

「百聞は一見に如かずだ。何が見える?」

「え? 何が見えるって言われても、先輩の上半身くらいしか……。体、細いですね」

「そこはどうでもいい」

 素直な感想を口にすると、ややイラっとした声が返ってきた。それに続き、杵松さんがくすくすと笑う声が耳に届く。

「あのね、湯ノ山さん。阿頼耶は、袋の中を見てみろって言ってるんだよ」

「はい? いや、そう言われても、腐ったイカは腐ったイカですし、そもそも暗くてよく見えな……って」

 気が付けば、あたしはハッと息を呑んでいた。

「……光ってる?」

 自然と漏れる驚愕の声。そう。目の前の袋の中のそれは、確かに青白く発光していたのだ。目を凝らさないと見えないほど微かな光ではあったが、光っているのは間違いない。どういうトリックですか、とあたしは尋ねようとしたのだが、それより先に先輩が口を開いていた。

「これが青鷺火の正体──発光バクテリアだ。日数が経っているから発光も弱いがな、当日はもっとはっきり光っていたことだろう」

 理解したか、と言いたげな声とともに、先輩は広げていた羽織を元に戻した。あたしに袋を渡しつつ、流暢な口調での解説が続く。

「発光バクテリア、即ち、青白い冷光を発する微生物は、イカを始めとした海洋生物の体表に生息しており、腐敗する過程で容易に増殖する。おそらく、アウトドアサークルの連中が釣ってきて、バーベキューの時に落としたか捨てたかしたイカが、藪の中で腐っていたんだ。発光バクテリアは塩分濃度の高い水中で繁殖しやすいから、イカは海水の入った袋に入っていた可能性が高いな」

「で、それを鷺が見つけて、袋を破ってイカを食べたんだろうね」

 先輩の後を受けるように、杵松さんが口を開く。聞き入るあたしの表情が面白かったのか、眼鏡の似合う上級生は、くすりと小さく微笑んだ。

「もう分かるだろ? きっとその時、鷺は発光バクテリアの繁殖していた水か、イカの体液を被ったんだよ。だから」

「鷺そのものが青白く光ってるように見えた……?」

「ご名答」

 不審そうにあたしがこぼした言葉を聞き付け、杵松さんが首を縦に振る。その嬉しそうな笑みを前に、あたしは深く納得していた。イカが腐ったら発光バクテリアが繁殖するなんてことは全く知らなかったが、そういうことなら話は通る。なるほどねえと感心しつつ、あたしは先輩に問いかけた。

「イカを杵松さんに探させたってことは、先輩は真相に気付いてたわけですよね。いつから分かってたんです?」

「確信したのは、依頼人の片割れがイカを焼いた話をした時だ。もっとも、光る鳥という時点で、概ね見当は付いていた。そもそも、青白い光を放つ怪異は、そのほとんどが仮怪(かかい)だからな」

「カカイ……? ああ、実際は自然の何かだってパターンでしたっけ」

 仮の怪と書いて仮怪。自然現象や動植物を妖怪と思い込んでしまうという、妖怪学における怪異の正体の分類の一つ……でしたよね、確か。以前に聞かされた説明を思い出しながら尋ねれば、先輩は小さく首を縦に振ってくれた。

「青白く光を放つ怪異は数多く、その原因も様々だ。だが、このうち、川や海に近い場所で目撃された場合は、発光バクテリアの仕業と見てほぼ間違いないだろう。鷺の他にも鴨が光るという話もあるが、真相はおそらく同じだ」

「へえ……って、あたしが感心しても仕方ないですね。早速、沙弥さんたちに知らせてあげないと」

「でもさ。光る鳥の正体が腐ったイカの汁だったってのは、あんまりロマンチックな真相じゃないよね」

 携帯電話を取り出そうとしたあたしを、杵松さんがやんわり制する。む、それは確かにそうかも。ポケットに手をつっこんだまま静止するあたしを前に、杵松さんは苦笑しながら言葉を重ねた。

「それに、阿頼耶から聞いたけど、そのカップル、どっちも結構頑固なんだろ?」

「え? あ、はい。そうですけど……」

「だったらさ。余計なお世話かもしれないけど、二人の論争の原因が、光る鳥を否定してた彼氏の捨てたかもしれないイカだって聞かされたら、仲が更にこじれそうな気もするよ。『彼とやり直したい』って依頼なのに、それじゃ本末転倒じゃないかな」

「明人の言う通りだな。それに、仮怪だったと告げるのは、怪異譚を広めるという俺の妖怪学の目的にもそぐわない。少しは頭を使え、ユーレイ」

 杵松さんの言葉に深く同意しつつあたしを馬鹿にする絶対城先輩である。まあ、言ってることは分かりますけど……でも、だったらどうすりゃいいんです? そう問いかけてみれば、先輩は証拠の入ったビニール袋を一瞥し、そして「決まっている」と告げた。

「いつもの手だ。真相を明かした結果、どこかに不都合が生じるのなら、全ての原因を妖怪に被ってもらえばいい。時にユーレイ、お前、合気道が使えるな? 格闘の心得のない小柄な相手なら、お前一人で何とかできるか?」

「え? ええ、まあ……。状況にもよりますが、たぶん」

 何でいきなりあたしの話? わけがわからないまま、あたしはきょとんとうなずいていた。後から思えば、この時「無理です」と言っておくべきだったのだが、そんなことは当時のあたしには知る由もなかったのだった。

 

          ***

 

「あれ。翔くん?」

「沙弥?」

 で、あたしたちが腐ったイカを見つけてから数日後の夜のこと。件の河川敷を見下ろす橋の上で、依頼人の二人が見つめ合っていた。お互い、相手がここにいるとは思っていなかったようで、きょとんとした顔で視線を交わす。

「どうして翔君が?」

「あの絶対城って人に呼び出されたんだよ。依頼通りのものが見られる日時が特定できたから、一人で来い──って。沙弥は?」

「私も同じだけど……。でも、絶対城さんは?」

 自分達を呼び出した人物の姿が見当たらないことに困惑しているのだろう、沙弥さんが不安そうに周囲を見回す。橋の上にも河川敷にも誰の姿もないことを確認すると、沙弥さんはがっくりと肩を落とした。

「光る鳥がいる証拠、見つけてくれたと思ったのに……」

「見つかるわけないだろ、そんなもの。大体、妖怪学の専門家なんて、僕はそもそも胡散臭いとは思ってたんだ。駄目元で相談してはみたけどさ、やっぱり──」

 嘆息する彼女の隣で、翔一君が肩をすくめた。実は少し期待していた自分を諌める意味もあるのか、ぶつぶつと言葉を重ねていく。と、その長口上を断ち切るように、ふいに何かの鳴き声が響き渡った。

 ──グァアアアアンッ。

「え」

「何?」

 鳥を思わせる濁った声に、二人はハッと顔を見合わせ、そして声の聞こえた方向へ──橋の下に広がる河川敷へと目を向けた。同時に、大きな藪がガサリと揺れ、茂みの蔭から翼を広げた鳥が一羽、飛び立つ。体の大きさは一メートル弱で、首と脚がすらりと長い。飛び立つ前に一声鳴くという特徴も含め、それは紛れもなくアオサギだったが……だが、ただ一点だけが、普通のアオサギと異なっていた。

「光ってる……?」

 先に声を発したのは沙弥さんだった。

その言葉通り、視線の先の大きな鳥は、確かに光を放っていた。全身が青白い燐光に覆われており、首から胸元にかけては特にくっきりと発光している。翔一君は言葉も出ないのか、ぽかんと口を開けたままだ。二人が固唾を呑んで見守る中、青鷺火の伝承の通りに発光する怪鳥は、優雅に翼をはためかせ、夜の闇の中へと消えた。

「……見た?」

「……見た」

 鳥が飛び去った方向を見据えたまま、依頼人のカップルが言葉を交わす。合計四文字の短い会話だったが、二人にはそれだけで充分だったのだろう。翔一君が頭を下げ、沙弥さんがそれを受け入れるまで、さほど時間は掛からなかった。

 

「……ようやく一件落着、かな? しかし、恋人同士のやり取りって、見てる方が恥ずかしいですね。仲直りしたのはいいですが、誰も見てないと思ってよくもまあ──わっ、抱き合った!」

「うるさいぞユーレイ」

ついさっき光る鳥が飛び立ったばかりの、河川敷の藪の蔭にて。橋の上の二人を観察しながら小声で実況していると、すぐ隣からお叱りの声が飛んできた。

「この距離ならまず聞こえないだろうが、万一、彼らに感付かれると厄介だ」

いつものように黒の羽織の絶対城先輩は、オペラグラスを手にしたあたしをじろりと横目で見据え、再び橋の上へ視線を向けた。橋桁に仕掛けた無線式集音マイクの拾った音をイヤホンで確認しているのだろう、黒衣の妖怪学の徒は満足げに小さくうなずき、そして抑えた声を発した。

「上手く行ったようだな。今回の依頼はこれで解決だ」

「……へー。それはそれはおめでとうございます」

「ん。どうしたユーレイ。機嫌が悪いな」

 不満に満ちたあたしの言葉に違和感があったのか、先輩がこちらを見下ろしてくる。そりゃそうですよ、ええ。先輩の隣でうずくまったまま、あたしはぼそりと反論した。

「先輩、最初に言いましたよね? 今回は仕掛けは必要ないから楽だって」

「なかっただろうが」

「どこがですか!」

 しれっと言い放つ先輩を見返し、あたしはきっぱり言い切った。

まあ確かに、先輩の言っていることは、ある意味では正しい。今回の場合、目撃された怪現象をそのまま再現できたのだから、機械的な仕掛けは不要だった。しかし、それが果たして楽だったかと問われれば、その答は圧倒的にノーなのであった。

 人工的に培養した発光バクテリア──正確には、発光バクテリアの増殖した塩水をアオサギに振りかけて飛ばし、「光る鳥」を依頼人カップルに見せつける。

この計画を先輩から聞いた時点で、嫌な予感はしていたのだ。まあ、発光バクテリアは買ってきたイカを腐らせれば勝手に増えるものだし、これは杵松さんがやってくれたからいいとして、問題はアオサギだ。杵松さんお手製の罠で脚に紐を掛けることはできたものの、そこから先が大変だった。

杵松さんは「実験があるから」とか言って不在だし、先輩は例によって見てるだけだったので、あたしは一人であの大型の鳥を取り押さえるハメになったのである。

これがスズメやカラスなら楽勝だが、あいにく相手は一メートル近い肉食の大型動物だ。爪も嘴も鋭いし、首と脚のリーチも長い。脚を押さえているので空を飛ぶことはできないが、巨大な翼の威嚇効果は充分だし、そして何より──そう、ここが一番の問題なのだが──合気道は、鳥との戦闘を想定していないのだ。

「あれを素手で捕まえるのが、どれだけ大変だったと思ってるんです……? 二度とやりませんからね、あんなこと!」

 一時間強に及んだ激闘を回想しつつ、抑えた声で怒りをぶつける。浅瀬とは言え川の中で、しかもタンクトップとショートパンツという軽装で格闘を繰り広げたせいで、腕も足も生傷だらけだし、全身はずぶ濡れだ。これ見よがしに鼻水をすすりあげると、あたしはぼそっと言い足した。

「それに、あの鳥にも悪いことしちゃいましたし……」

「傷を負わせたわけではなかろう。発光バクテリアにも害はないし、水を浴びればすぐ落ちるから安心しろ。大体、大変だったとか何とか言っているが、格闘の心得のない相手なら一人で何とかなると宣言したのは、ユーレイ、お前だろうが」

「それは相手が人間の場合です! クチバシで突っついてくる相手なんか初めてで」

「だが、実際、何とかなった。違うか?」

 あたしの愚痴をさらりと受け流し、先輩がこちらを見下ろした。長い前髪に隠れた双眸をまっすぐあたしに向け、黒の羽織の妖怪学の徒は「言ったろう」と口を開いた。

「お前は強いんだ。その強さを、俺は信頼している」

「へっくしゅっ!」

 返事の代わりに、思わず小さなくしゃみが出た。至近距離から不意打ち気味に評価された驚きか、あるいは照れてしまったのか。と、それを聞きつけた先輩は、小さく首を傾げ、あたしの顔を覗き込んだ。

「冷えたのか? 随分水を被っていたからな。無理もない」

「え? い、いや、そういうわけじゃないと思うんですが……」

「なぜそう言い切れる? 強靱なお前と言えども、人である以上、体を冷やすと風邪を引く。とりあえず、温かくしておけ」

 そう言うと、先輩は羽織っていた羽織をマントのように広げ、あたしの肩にそっと被せた。先輩の細い腕があたしの肩に密着し、はっと一瞬息が止まる。

距離が近いです、別に冷えたわけじゃないんです、てか女子を褒めるのに「強靱」はどうかと思います。……でも、気遣ってくれたのはありがとうございます。

幾つもの言葉がぐるぐる回り、上手く口から声が出ない。そんなあたしの状態に気付いているのかいないのか、先輩は小さく肩をすくめ──肉付きの薄い肩が動くのが伝わってくる──そして、橋の上で寄り添う依頼人カップルに目を向けた。

「お前が愚痴るのも分かるがな。お前の奮闘のおかげで青鷺火の再現が成功し、依頼人たちの仲が元に戻ったのも、また事実。この結果についても文句があるのか?」

「はい? い、いやまあ、そこについては問題なしと言うか、結果オーライなんですけど……って、そう思っちゃうのは、我ながらお人好しすぎる気もしますね」

「人が良いのはお前の美点の一つだ。謙遜することはない」

「へっくしゅ!」

 再び飛び出す小さなくしゃみ。ですから急に褒めるの止めてくださいよ! びっくりするし恥ずかしいから! そう叫びたい気持ちを深呼吸とともに飲み込むと、あたしは、先輩の視線の先、幸せそうに語り合う二人へと視線を向けた。

 ……うん。まあ、自分で言ったように、お人好しだとは思う。思うけど。

あたしたちが頑張ったことで、あの人たちが幸せになったのなら、それはそれで充分素敵なことだろうから──だから、これで良し、としておこう。

 

「ところで先輩。あたしたち、いつまでこうしてるんです? 蚊が出てきたし、早く帰りたいんですが」

「あの二人が立ち去るまで待て。ちなみに俺は防虫スプレーを使っている」

「ずるい! そして沙弥さんたちは帰る気配が全くない……あっ、とか言ってる間にまた抱き合った!」

「うるさいぞ」

 なお、翔君と沙弥さんが橋から去ったのは、その四十三分後、ハグを十回とキスを三回やらかし、あたしが蚊に六回刺された後のことでした。仲のよろしいことで。

 

          ***

 

 ──とまあ、例の河川敷では、そんなことがあったのだ。

 依頼人さんとは依頼を通じてしか接触しないのが、絶対城先輩と四十四番資料室のお約束。なので翔一君と沙弥さんのその後については知らなかったが、おそらく、二人のどちらか、もしくは両方が、関係を回復できた喜びとともに、「河川敷に現れれる光る鳥」の話を誰かに教えたのだろう。それが、伝言ゲームのような過程を経て不特定多数に広まる中で、「光る鳥を見たカップルは必ず結ばれる伝説のデートスポット」という噂に変貌し、目の前のあたしの友人の携帯にまで届いたのだと思われる。

 ……しかし、どこの誰の仕業か知らないが、「必ず結ばれる」って、また強引に改変したものだ。翔一君と沙弥さんは元々付き合ってたんだから、「喧嘩した恋人と仲直りできる」くらいにしておけばいいものを。

 とかなんとか、そんなことを思いつつ、教室移動の支度を終える。お待たせ、と口にしながら席を立てば、それを待っていた友香は、スマホを手にしたまま立ち上がった。性懲りもなく例のデートスポットの話題を眺めていたらしく、「光る鳥って見てみたくない?」と話しかけてくる。

「場所も近いし、行ってみようかなー。相手いないけど」

「別に止めないけどね。青鷺火──じゃなかった、その光る鳥、まず間違いなく見られないと思うよ。あと、蚊が多いから防虫スプレーとか持ってった方がいい」

「何その経験者っぽいアドバイス。礼音、行ったことあるの?」

「先週、絶対城先輩と一緒にね」

 友香の見たがってる光る鳥を飛ばしに行ったのですよ、ええ。そう心の中で付け足しつつ、げんなりした声で応じる。と、それを聞いた友香は、一瞬きょとんと目を見開き、そしておずおずと声を発した。

「絶対城センパイって、あの真っ黒の妖怪博士でしょ? あの人と、噂のデートスポットに? ……礼音、やっぱり付き合ってるの?」

「やっぱりって何だ! 違います!」

 即座に反論するあたし。そりゃまあ、あたしは絶対城先輩とよく一緒にいる。今夜だって、「見越し」とかいう妖怪を仕掛けねばならないので、講義の後に四十四番資料室に行くことになってるし。あの仏頂面や命令口調にも、最近ようやく慣れつつあるのも事実だけれど、でも、断じてそういう仲ではありません! 

とまあ、そんな思いを込めてきっぱり首を横に振れば、友香は「ムキになるところが怪しい」と眉をひそめたのだった。違うってのに。

(完)